文字にすると

 
昨日の《スイート ドッグ》のホワイト ピットブルは、その後、他のボランティアのホームに預けられ24時間体制で監視されることに成ったので、奇跡的に病気が無くなる以外は、今後、テレビで観ることは無いかもしれない。
 
 
しかしながら、ブログに文字にして載せてから、画面で観たその犬の幾つかのイメージがブレインにシッカリと貼り付いてしまったかのようで、忘れることは無いように彼女には思えた。
 
 

動物虐待の話が後を絶たない日々の中で観て聴いて読んだ話が、それぞれ多かれ少なかれ違っていて、酷過ぎて、忘れることなど無いだろうと、いつも思うのに、こうして文字にして載せると、個人的な見解が加わるためか、それらの動物達が自分にとって特別な存在となり、間接的であっても、そして、たとえ、それらの存在が此の世に存在しなくなっても、何処かで通じ合えるような気がする。

 
 
ミズ ビーが此の世にいなくなってから、彼女は、そう思うようになった。
 
 
これは、他人にも友達にも、そして、彼にさえも言えないことだったし、言う気も無かった。
 
 

ポポもマックスもミズ ビーも、文字にして載せたから、距離が縮まったような気がする。

 
 
ミズ ビーが側にいて、彼女を見上げるようにして見ていて、
 
 
『 さぁ、お書きなさい。私に会いたくなったら、書く事です。私は、あなたの側にいる。いつも、側にいる。』
 
 
そう言っているように、彼女には思えたりする。
 
 
それとも、、、、
 
 
ミズ ビーは、
 
 
『 相変わらず、私に人間言葉を付けさせて、人間化させるところは、私がいなくなっても変わっていないわね〜。』
 
 
そう思って静かに笑っているかもしれない。