飼い主を選んで生まれて来るならば

 
何気なく見た記事に、『 ペットは飼い主を選んで生まれて来る 』と書かれていた。
 
 
しかしながら、たとえ、ペットが飼い主を選んで生まれて来ても、飼い主が責任を持って育てられなかったり、育てたくても事情や状況のために、ペットを不幸にすると思われる場合は、そのペットを幸せにしてくれる人に飼い主となってもらうべきだそうで、
 
 
その意味でも、ペットとの出会いは、飼い主自身が育てるか、飼い主が選んだ人に育ててもらうか、或いは、その選んだ人に飼い主と成る人を探してもらうかと言った飼い主の選択が、その後のペットの人生に大きく影響する事になる。
 
 
 
実際には、そのように、ペットとの出会いがあっても、虐待したり、捨てたり、保健所に持ち込んだりと、ペットの命を物扱いしても平気な人達が、今だに多くいて、
 
それなのに、
 
なぜ、
 
 
ペットは飼い主を選んで生まれて来るのだろう?
 
 
彼女は、そんな風に考えてしまった。
 
 
痛みや悲しみや死をも覚悟して飼い主を選んで生まれて来る理由は何なのだろう?
 
 
ミズ ビーも、自分を選んで生まれて来たのだろうか?
 
 
彼女には、そう思いたい気持ちと、選ばれた飼い主としてミズビーに充分してやれただろうかと言う疑問があった。
 
 
大切に育てたつもりでいても、果たして、それが、ミズ ビーの幸せだったのだろうか?
 
 
誰か他の人に飼われていたら、ミズ ビーは、もっと長く生きられただろうか?
 
あるいは、
 
誰か他の人に飼われていたら、ミズ ビーは、無理して、辛い思いをして、彼女のために生きる必要は無かったかもしれない。
 
 

しかしながら、

 
ミズ ビーが彼女を選んで生まれて来たとしたら、彼女に伝えたいことがあったからなのではないだろうか?
 
 
飼い主のせいで不幸になったペット達も、飼い主に何か大切なことを伝えるために飼い主を選んで生まれて来たのではないだろうか?
 
そして、それに気付く飼い主もいれば、気付いても全く無視する飼い主がいて、ペットには、それ以上、何も出来ない。
 
 
希望が持てるのは、誰か、それが他人であっても、子供であっても、そんな飼い主とペットを目撃して、たとえ、そのペットを救えなかったとしても、自分は、そんな飼い主になりたくない、ならないぞと決心し、そして、不幸なペット達を増やしてはいけないと思う気持ちを持ち、それを忘れないことだ。
 
 
彼女は彼によく言ったものだった。
 
 
『 ペットになる動物は飼い主を選べないじゃない? 私達が親を選べないで生まれて来たように。だけど、私達は、成長したら、自立して自分達で人生を形成することが出来る。ペットは生きるも死ぬも飼い主次第だからこそ、不幸なペット達は余計に可哀想。』
 
 
子供の時に、大人達が、
 
 
『 犬や猫の子のように、いらないから育てられないからと言って捨てるわけにもいかないしねー。』
 
 
と笑いながら、人間の子供について話しているのを聞いたことがあった。
 
 
彼女は、散歩もしてもらえないで鎖で繋がれているのに飼い主のその大人に服従している犬を見ながら、
 
何かが間違っている、
 
そんな風に思った。
 
 
可哀想に、あの犬も、あの飼い主を選んで生まれて来たのかもしれない、
 
あの犬にとっては、自分の存在を家族の一員として思っていても、飼い主からはそう思われず、人間の子供達と余りにも違った扱いをされて、さぞかし悲しかったことだろうと思う。
 
 
あの時から比べたら、動物愛護の活動が普及し、活発になり、動物への理解が深まり、多くの動物達が救われるようになった。
 
 
と言っても、まだまだ、不幸な動物達が多くいる。
 
 
過去に多くのペット達が飼い主を選んで生まれてきたのにもかかわらず、不幸な生活を強いられ、孤独な死を遂げたのは、本当に残念なことではあるけれど、子供の彼女でさえ疑問を持ったのだから、多くの人達も、そう思っていたのかもしれない。
 
 
悲しいけれど、過去があるから今があり、今があるから、将来がある。
 
 
そうでも思わなければ、過去の多くの不幸なペット達の死が無駄になる。
 
 
『 ペット達よ。飼い主を選んで生まれて来るならば、
 
どうか、あなた達を幸せにしてくれる飼い主を選んで生まれてきておくれ!』
 
 
『 飼い主達よ。あなたのペットはあなたを選んで生まれて来たのかもしれない。大切な命を、どうか粗末に扱わないで下さい。』
 
 
彼女は、心の中で、そう願った。